八木邸・西本願寺だけでない新選組の「屯所」
新選組不動堂村屯所跡地 |
幻の不動堂村屯所
慶応3年6月15日(1867年7月16日)
新選組は屯所を西本願寺から不動堂村へと移す。
かねてから無理無理新選組に屯所と使われてしまっていた西本願寺は不動堂村に屯所を新設。新選組に提供することで寺から移動してもらうよう交渉してきたのだ。
これを新選組が了承。こうして不動堂村醒ヶ井七条下ルに不動堂村屯所が完成した。
永倉新八いわく「正門から玄関から間取りまで、堂々たる諸侯の屋敷に比べても遜色ない建物」であった。
近藤は「(西本願寺の)門主は寺の敷地内で新選組が訓練で大砲をうつのが我慢ならず敬遠の策に出たのだろ」と苦笑いしたそうだ。
しかし諸侯の屋敷にも劣らない立派な屯所だが実は使用したのはわずか半年しかない。
翌年慶応4年の1月には鳥羽・伏見戦争へと出兵していき二度と不動堂村の屯所へ戻ることはなかったからである。
住人のいなくなった不動堂村の屯所はやがて解体され姿を消す。
場所を特定しようにも「只今はどうしたものかその建物は跡形もなく、民家が立ち並んで、ちょっとその場所がはっきり見分けさえつかなくなりました」(八木為三郎)とのこと。
現在はリーガロイヤルホテルの一角に不動堂村屯所の石碑が建っているが、本徳寺の大広間が不動村屯所だったのではないかという説もある。
不動堂村屯所の説明版 |
新築屯所の大きさや間取りは?
「堂々たる諸侯の屋敷に比べても遜色のない建物」とはいかほどのものだったのか。
屯所は真中が広間で、右にも左にも広い廊下がずーっと通って、右側は部屋がいくつも並んでいて、これに平同志がいる。左側にも同じく沢山部屋があるが、これは副長助勤の人達が入っている。今でいうと大きな高等下宿か寄宿舎の様でした」(子母沢寛「新選組物語」より池田七三郎の話)
かなり豪華な作りの建物だったのだろう。
新選組ができて以来ずっと民家や寺の一部を拝借してきた新選組にとって自分たちだけの城を持てたということは一念天に通ずる気持ちに違いなかっただろう。
新選組不動堂屯所跡にたつリーガロイヤルホテル |
【アクセス】
所在地:〒600-8237 京都府京都市下京区松明町
JR京都駅東口から塩小路を東へ徒歩5分
地下鉄 C8出口から塩小路を東へ約5墳
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