石田寺 |
明治2年5月11日
新選組副長・蝦夷島政府 陸軍奉行並 土方歳三没
享年35歳
別名 義豊(諱)、内藤隼人、豊玉(雅号)
戒名 歳進院殿誠山義豊大居士
墓所は北海道函館の碧血碑、東京都日野の石田寺、東京都北区の寿徳寺境外墓地、東京都荒川区の円通寺、福島県会津若松市の天寧寺など複数存在するが、いずれの墓所にも土方歳三自身は眠っていない。
箱館一本松関所を防衛中だった土方は新政府軍の銃弾に倒れ、五稜郭に連れ戻された時にはすでに亡くなっていた。遺体は小芝長之助らに引き取られ、ほかの戦死者とともに五稜郭内に埋葬されたといわれているがその場所は見つかっていない。
石田寺と土方歳三
毎年5月の連休明けの土日には新選組友の会による「歳三忌」が行われ、大勢の参拝者が訪れる。墓参りの後は高幡不動の信徒会館で新選組に関する講演会が行われるのが常である。同時に日野新選組祭も開催され、ミスター土方が選ばれたりファンによる仮装行列が行われる。イベント参加者以外は仮装状態での墓参りは禁止されている。
土方歳三義豊之碑
土方歳三義豊之碑 |
石田寺の境内の中には「土方歳三義豊之碑」が立てられている。歳三の親代わりであり、土方家の家督を継いだ歳三の兄、喜六の曾孫にあたる土方康氏が昭和43年(1968)に明治100年を記念して建立したものである。
土方歳三の墓
土方歳三墓所※写真は2012年歳三忌 |
土方歳三の墓所は奥に進んだところにあり、案内板が建っているのですぐに見つかる。写真は2012年の土方歳三忌の様子だが、イベントにかかわらずファンによる参拝が絶えないという。
戒名は「歳進院殿誠山義豊大居士」。
歳三の辞世の句
歳三の辞世の句は何通りか伝えられている。
よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ
(よしやみはえぞのしまべにくちぬともたまはひがしのきみやまもらむ)
(自分はこの地で死んで)この体は北海道で朽ちていくが魂は東にいるあなたのことを守ります。※もしくは魂だけになったとしても東のあなたのことを守ります。
出典:小島守正氏著『両雄逸事』
さて問題の「君」は誰のことをさしているのかという話だが、尊王攘夷者であった歳三なので天皇または将軍、という説が有力だが、意外とロマンチストの歳三だから京都で出会った思いを寄せた女性にあてたのではないかという憶測もあり、小説や創作に女性が登場する。
鉾とりて月見るごとにおもふ哉あすはかばねの上に照かと
(ほことりてつきみるごとにおもうかなあすはかばねのうえにてるかと)
鉾をとって月をみると毎回おもう。明日は(俺の)屍のうえに照るのだろうか
出典:島田魁がまとめた和歌集
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