新選組最後の局長・相馬主計の出身地|茨城県笠間市・笠間城跡

 新選組最後の局長・相馬主計は笠間藩(現・茨城県笠間市)出身。

笠間には相馬のゆかりの地は残っておらず、または研究されておらず笠間藩の城址・笠間城があるのみである。

笠間城は笠間稲荷のすぐ近くにある。また笠間は笠間焼の町としても有名で陶芸体験ができる。

笠間城を訪ねつつ相馬主計を育てた笠間の町で遊ぶのもおススメ。名物は栗。

相馬主計を育てた笠間藩とは

笠間城遺構|茨城県笠間市
笠間城遺構

笠間城は笠間藩の城址。相馬主計を育てた笠間藩とは

隣の水戸藩をライバル視しており、藩主が代々剣術を奨励。唯心一刀流と示現流を主に二大流派とした。その結果、小藩ながら剣術が隆盛を極め、「剣は西の柳河(筑後柳河藩)、東の笠間」としてその剛勇が知られるようになった。幕末になると「水戸の勇剛をもってしても笠間を撃破することは困難」と言われ、諸藩の遊暦剣客も一度は笠間の地を踏んだという 引用:wikipediaより

幕末時の藩主は牧野家。藩主・牧野貞直は鳥羽伏見戦争のときは大阪城代であった。幕府軍として参加したが慶喜撤退を受け、家臣3人と大阪を脱出江戸へ逃げ帰る。いち早く新政府軍へ下り新政府軍と宇都宮戦を戦う。して戊辰戦争を戦った。旧笠間藩主家は華族に列して子爵となった。現在は城壁が残るのみである。

笠間城跡所在地

〒309-1611 茨城県笠間市笠間3613

笠間城
笠間城
笠間城
笠間城
笠間城
笠間城
  


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