常に多くのファンが訪れる土方歳生家跡(現・資料館)
現在は不定期で開館。
土方歳三、多摩に生まれる
新選組副長・土方歳三は天保六年五月五日(1835年5月31日)、武州武蔵国多摩郡石田村に農家の土方義諄(隼人)と恵津の間に生まれた。
10人兄弟の末っ子であった。
土方は幼いころ薔薇餓鬼(バラガキ)と呼ばれるほどの悪童であった。
日野土方家は「お大尽」と呼ばれる多摩の豪農であったが、父は歳三の生まれる3か月前に結核で亡くなっており、母も歳三が6歳のときの天保十一年七月一日(1840年7月29日)に結核で亡くなっている。
また長兄の為次郎は眼疾のため、次兄の喜六が家督を継ぎ隼人を襲名した。
歳三は喜六の妻・なかによって養育された。
歳三の生家は現在では土方歳三資料館となっており土方歳三の人物像を今に伝えており、ファンの間では聖地となっている。
土方歳三資料館
土方歳三資料館は、平成6年に開設された。
住居だった 旧家屋は平成2年に建て替えられ、土方家では現在の館長・土方愛氏が歳三の暮らした生家で育った最後の世代となった。
資料館では歳三が箱館戦争のさいに市村鉄之助に託した歳三の愛刀・和泉守兼定(市指定有形文化財)、や直筆書簡、豊玉発句集、池田屋事件で使用した鎖帷子など歳三ゆかりの品々を見ることができる。
個人で運営しているため講演の時など閉館している場合がある。
※2022年11月をもって休館。
※2024年4月27日更新 リニューアルオープン
展示物も公開している時としていないときがあるので目当てのものがある場合は確認してから訪問した方がよい。
歳三の胸像 |
生家跡に残る歳三の息吹
生家跡には、歳三が少年のころに「我、壮年武人と成りて、天下に名を上げん」と言って植えたという「矢竹」が現存している。
歳三の矢竹 |
また天然理心流に入門した際に振っていたといわれる木刀(復元)も展示されており自由に障れるようになっている。
写真を見ればわかる通り通常の木刀よりかなり大きく、長く、重い。持つだけでも力を要する。
長さ122cm・重さ1.6kgの木刀。
土方歳三が握力や上半身の鍛錬に使用したものとされ、柄の部分には土方の本名からとった「義」の文字が刻まれている。
天然理心流の木刀 |
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