下妻藩は現茨城県の南西に位置し、鬼怒川の水運によって経済発展を遂げた藩である。
下妻藩
下妻藩は江戸時代の慶長11年(1606)に徳川頼房が立藩した。
元和元年(1615)からは松平忠昌、その翌年からは松平定綱が当主として入り、定綱が遠江掛川城に移封される一度、廃藩となる。
正徳2年(1712)井上正長が下妻藩を再立藩し、下妻陣屋を築いた。
幕末と下妻陣屋
下妻藩は弱小藩であったことに加え藩主が短命で政治が不安定であった。
元治元年(1863)年に水戸天狗党が挙兵した時、幕府の追討軍本拠が下妻陣屋に置かれたため、陣屋は天狗党の攻撃を受けた。
当時の13代当主・井上正兼は、陣屋を自焼して江戸へ逃れている。
また、大政奉還後は新政府軍につくのか会津川につくのかで藩の意見が割れ、両方に加担するなど、内部分裂があった。
土方歳三下妻陣屋を攻める
水海道河岸から船で下妻まで来た土方歳三一行は下妻藩から武器や食料をいただくことにした。
「秋月公は精兵四百人あまりをもって下妻陣屋を囲み(島田魁日記)」
秋月が兵をもって囲み兵糧を出させる。
現在の下妻陣屋跡
下妻陣屋跡は現在下妻第一高校となっており面影は残っていない。
下妻陣屋跡地(茨城県立下妻第一高等学校) |
高校の東側に位置する城山稲荷神社の敷地内には土塁と思われる跡が残っている。
城山稲荷神社は宝徳年間(1449~1452)に多賀谷城内に鎮斎された。
天正十六年、小田原の北条が当時下妻一帯を治めていた多賀谷を攻めた。
激戦が繰り広げられたが、翌年天正十七年に豊臣秀吉による小田原攻めが開始されたため北条軍は撤退していった。
多賀谷勢はこれは稲荷神社の加護によるものとし、城内に祀っておかず眺めの良い広い場所で祀らなければならない都市、多賀谷城の西側、現在の位置に社を建てた。
幕末当時も現存していた為、土方歳三も戦勝を祈願したかもしれない・・
城山稲荷神社 |
神社の境内に残る土塁 |
また東側にはかつて下妻藩の城であり、最盛期は真壁一帯まで入ってしまったという多賀谷城跡が公園として残っている。
多賀谷城跡 |
【下妻陣屋跡所在地】
〒304-0067 茨城県下妻市(下妻第一高校の東側)
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