実行寺外観 |
実行寺(じつぎょうじ)は、船見町・称名寺の隣にある日蓮宗の寺院。
箱館開港後は一時ロシア領事館の仮止宿所としても使用された。
安政元年(1854年)にペリーが箱館に来航した際は、随行画家ヴィルヘルム・ハイネらの宿舎となった。
元々は称名寺と同じく大町の方にあったが、たびたび大火に見舞われ、現在の場所への移転を余儀なくされた。
現在の建物は大正七年(1918年)に築造されたものである。
実行寺と新選組
箱館戦争当時、実行寺は称名寺の隣に位置していた。
おそらく称名寺と実行寺が新選組最後の屯所だったと思われる。
実行寺の過去帳には、仙台で新選組に入隊した竹内武雄が明治二年四月六日に死亡と書かれている。
竹内武雄は桑名藩士で、前年の慶応四年十月二十四日に、七重村おこった新政府軍との戦いの最中に負った傷が元で死亡したと思われる。
傷シテ後ニ死スル者、桑藩竹内武雄也『戊辰戦争見聞略記』
この七重村での交戦中には三好胖、小久保清吉が敵陣に突入して死亡している。
明治二年(1869年)、箱館戦争が終結すると、明治新政府は住民や各寺院に「賊軍」に関わらないよう命令をした。
戦死者に対しての慰霊行為も禁止されていたという。
箱館の住民たちは後難を恐れて戦死者はそのまま市街や戦場に放置していた。
しかし、五稜郭の建築に携わった柳河熊吉、大岡助右衛門は現状を哀れに思い、大岡が檀家であった実行寺に掛け合う。
当時の住職だった日隆は戦死者を回収、収容してくれれば埋葬すると請け負った。
この三者の行動がほかの寺院を動かし最終的には実行寺以外の寺も協力をして旧幕府軍の埋葬、慰霊を行った。
土方歳三の戒名は称名寺から出されているが、この実行寺からも出されている。
五月十一日
有統院殿鉄心日現居住士 土方歳三殿事
現代の実行寺
現代の実行寺
実行寺の本堂 |
大黒堂 |
七面山の碑 |
七面山は南アルプスの一角を担う山田が、法華経の聖地として名高いらしい。
霊山とされ山岳信仰で有名とのこと。
実行寺の裏山が七面山と見立てられ信仰の対象になっているらしい。
アクセス
所在地:北海道函館市船見町18-18
電話番号:0138-22-0341
アクセス:「称名寺通」バス停 下車 徒歩4分
駐車場:無料駐車場あり(10台)
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