井上源三郎の墓がある宝泉寺 |
映画やドラマで近藤勇や土方歳三が突出した傑物として語られるのに対し井上源三郎はいつも穏やかな好々爺、凡人として描かれているような印象がある。
しかしそれはあくまでも主役を引き立たせるための演出であり井上源三郎の本当の姿ではないと筆者は考えている。
故郷から遠く離れた血なまぐさい京都へとおもむき、芹沢粛清や禁門の変などの動乱を駆け抜け、百姓や商人といった武士ではない者たちを隊長としてまとめた。
凡人にできるかと問われたら、無理である。
京都に行く時点で凡人の筆者には無理である。
井上源三郎の生涯
井上源三郎の墓
井上源三郎の墓 |
宝泉寺には井上家の墓所がある。
その一角に井上源三郎の墓はある。
誠の登旗が建っているので遠目からでもどこへ行けばよいのかすぐわかる。
墓石には井上家の家紋と戒名の「誠願元忠越居士」が刻まれている。
墓石の裏側には次のように刻まれている。
俗名 井上源三郎一武
新撰組六番隊長
慶応四年一月四日鳥羽伏見の
戦のおり淀堤千両松にて戦死
平成九年十一月吉祥日
井上信衛 再建之
井上源三郎墓石の裏
宝泉寺の墓誌には、源三郎と共に兄・松五郎(戒名:清松軒仁□智勇居士)、源三郎を看取った甥の泰助の名もある。(戒名:泰岳宗保居士)
井上源三郎顕彰碑
本道を左に行くと駐車場がある。
その奥にのぼり旗と井上源三郎之碑がある。
ここが墓かと思ってしまうが、墓はその奥にあるので要注意。
宝泉寺の御朱印
本堂右側のインターホンを押すと役僧が出てきて、御朱印を頼むと書付のみいただける。
宝泉寺の御朱印 |
宝泉寺基本情報
宝泉寺本堂 |
正式名称「如意山宝泉寺」といい臨済宗建長寺派の禅寺である。
開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚、創立は元徳年間(1330年頃)で、当初は姥久保(現新町、中央高速が通るあたり)にありましたが、火災にあい、その後、現在の地に再建されたといわれています。日野市観光協会HPより引用>>
開山以来現在まで21世代に及ぶ。
その間小田原北条氏から寺領を請け、徳川氏からは高八石と寺中山林竹木諸役免除の朱印状を授けられたという名門である。
本堂には本尊釈迦如来、脇侍文殊・普賢両菩薩の三尊が安置される。
本尊のほかに「持ち上げ観音」の名で知られている馬頭観音像があり、持ち上げた時に感じる重さによって吉凶を占う。
大きさは約36cm。
願い事をしながら持ち上げ、軽く感じたなら願いはすぐにかなうが、重く感じたならば困難な道になるという。
所在地:日野市日野本町3-6-9
☎:042-581-1926
アクセス方法:JR中央線日野駅下車徒歩2分
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