新選組初代屯所・八木邸|京都府壬生

新選組屯所・八木邸
ファンは見ただけでテンションの上がる屯所入口

 新選組の京都での活動期間約5年のうち、彼らは2年をここ壬生で過ごした。

新選組のドラマや映画で描かれている出来事のほとんどはここ八木邸と前川邸を屯所にしている時に起こった。

例えば、八・一八の政変や蛤御門の変、池田屋事件、芹沢鴨暗殺などだ。

熱心な新選組ファンもにわかファンも必ずと言っていいほどここは訪れる場所である。

現在は京都市指定文化財となっている。

八木家と新選組

 文久三年(1863年)、京都に到着した浪士組は、八木邸、前川邸、了徳寺、南部邸に分宿した。
 のちに新選組の中心となる試衛館組と芹沢一派はここ第11代八木源之烝宅に宿泊していたという。

 清河八郎に率いられてほとんどの浪士組隊士が江戸へ帰ったのち、壬生浪士組が会津藩お預かりになったころから壬生浪士組は八木邸、前川邸を活動の拠点とした。
 そのため前川荘司とその家族は、油小路六角にあった前川本家の両替店へ避難することとなったが八木家の人々は壬生に住み続けた。

 特に幼少期を新選組隊士達と過ごした八木為三郎はのちに子母沢寛の取材をうけ、新選組について多くの事を語り残している。

八木邸時代に起こった主な出来事

文久三年(1863年)
四月:大坂の両替商・平野屋五兵衛に100両を提供させ、これを元手に隊服、隊旗を揃え、隊規の制定にとりかかる。

六月:大坂相撲の力士と乱闘になり殺傷する。
八月十三日:大和屋焼き討ち
   芹沢鴨らが、京都の生糸問屋・大和屋放火。
   金策を断られたことが理由らしい。
   この一件は会津藩の知るところとなり、近藤勇は松平容保から芹沢鴨暗殺を命じられたとも言われている。

八月十八日:政変に警備として出動、「新選組」の名を会津藩から賜る。
    
九月十八日:芹沢鴨暗殺
九月二十六日:荒木田左馬之助、御倉伊勢武、楠小十郎が長州藩の間者として粛清される。楠は前川邸の門前で殺された。荒木田は「屯所」で髪結い中に殺されたとあるが、八木邸か前川邸かは判明していない。

元治元年(1864年)
六月五日:池田屋事件
七月十九日: 禁門の変(蛤御門の変)に出動。
九月:江戸で隊士募集を行う。伊東甲子太郎らが加入

元治二年/慶応元年(1865年)
二月二十三日 前川邸にて山南敬助切腹。
三月 西本願寺へ屯所を移転

八木邸内見どころ

見どころはなんといっても、芹沢鴨暗殺の現場だろう。
数ある新選組の事件の中で八木邸が現場となった事件である。
鴨居に残る刀傷は沖田総司の物といわれており、映画やドラマの中で、沖田総司が刀を鴨居に引っ掛けてピンチに陥るシーンは新選組あるあるといっても過言ではない。
昔はそのままの状態で見学できたが、触ってはいけない決まりにも関わらず触れる人が多数いて、傷跡が丸くなってきてしまったのでカバーがかかっている。
沖田総司の刀傷が残る八木邸・新選組屯所
奥の部屋の左隣りが刀傷の残る部屋

本玄関

八木邸の隣には京都鶴屋鶴寿庵という和菓子屋が併設されており、抹茶とお菓子が楽しめる入館チケットも販売されている。
京都鶴屋鶴寿庵と新選組屯所の碑
京都鶴屋鶴寿庵と新選組屯所の碑

施設情報

【所在地】〒604-8821 京都市中京区壬生梛ノ宮町24
【TEL】075-841-0751
【アクセス】
市営2873系統(京都バス)「壬生寺道」下車徒歩2分
JR山陰本線「丹波口駅」下車徒歩約13分
【その他詳細】
公開時間:9:00~17:00 ※最終受付は、16時
拝観料 大 人:1,100円(税込)(ガイド・抹茶・屯所餅付き)
中高生:1,100円(税込)(ガイド・抹茶・屯所餅付き)
    600円(税込)(見学のみ)
小 人:800円(税込)(ガイド・抹茶・屯所餅付き)
    300円(税込)(見学のみ) 

参考文献

   

 


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