四谷大木戸跡 |
慶応四年三月一日(3月24日)新選組改め甲陽鎮撫隊、甲府城へ向けて出陣。
一日目は内藤新宿に泊まり遊女屋すべてを貸し切ったという。
四谷大木戸は内藤新宿の関所だった場所なので新選組もここを通過している。
内藤新宿とは
「内藤新宿」は、甲州街道の最初の宿場で江戸四宿のひとつである。
現在の新宿通りは女郎屋が多くあった。
女郎屋といっても表向きは普通の旅籠屋(宿泊所)で、飯盛り女といわれる遊女を雇っていた。
表向きは普通の旅籠屋だったので当時の旅人にとって女郎屋に泊まることは普通だった。
おそらく新選組もそんな遊女屋に泊まり周辺から遊女たちを集めたのではなかろうか。
四谷大木戸の関所には玉川上水監視所もあった。
古地図に移る天龍寺は現在も〒160-0022 東京都新宿区新宿4丁目3−19に現存している。
隊士達が天龍寺を訪ねた記録はないが横目に見ていたかもしれない。
文久二年ごろの内藤新宿 国会図書館人文学オープンデータ共同利用センター |
現在の四谷大木戸跡
現在は新宿御苑のすぐ裏にある四谷市民ホールの敷地内に四谷大木戸跡の碑と玉川上水水門の碑が立っている。
新宿御苑も内藤新宿の一部で、現在も地名に「内藤新宿」が残っている。
現在の四谷大木戸跡地 |
大木戸と玉川上水水門の説明板 |
多摩川水門の碑所在地〒160-0014 東京都新宿区内藤町4丁目9−12 |
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