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伏見奉行所 |
新選組と伏見奉行所
慶応三年十月十四日(1867年)大政奉還が行われた。
同十二月十六日、王政復古の大号令が発せられ、新選組は京の二条城へ警護に入った。
しかし、すでにその役目に就いていた水戸藩と対立し、将軍の命により当時屯所としていた不動堂村を離れることとなった。
新選組は大坂へ一旦入ったものの、京から大坂への途上に位置する伏見まで引き返し幕府軍が陣取る伏見奉行所で伏見の警護に加わった。
翌年、慶応四年一月三日(1868年1月27日)、鳥羽伏見の戦いが勃発すると新選組は伏見奉行所周辺で戦うこととなる。
伏見奉行所とは
江戸幕府の遠国奉行の一つ。
伏見地域の政治・御所の警護・西国大名の監視する役割だった。
寛文六年(1666年)水野忠貞が初代奉行。
石碑と壁が集合住宅の端に建っている。
石碑から南の伏見合同宿舎1号棟の西端に石垣が残っている。
伏見奉行所跡地:〒612-8104 京都府京都市伏見区西奉行町1
石垣所在地:〒612-8106 京都府京都市伏見区奉行前町6
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